mydearson's blog

都内在住、フルタイム勤務の母と2009年生まれの息子の学習記録

2022_0918Sun. 家とは、家族の在り方とは

母とオンラインで対面した

今年のGWあけに入院して認知症の治験をしたいたが

肺炎になったため食事は禁止され点滴のみで命をつなぐことになった

今年のGWまでは実家で父と暮らしており

目を離すとテーブルの上にある食べ物を食べてしまったり

うろうろ家の中を徘徊したり

それはそれで大変だったけれど

4か月の間に寝たきりになってしまった

病院に殺される

そう思った

 

コロナ禍であるためオンラインで5分しか面会できない予定だったが

主治医が当直で病院にいたため急遽直接お話しできた

今後について話し合った

30代の若い先生だった

実家に帰って調べたら同じ高校の後輩だった

実直そうだけど地元の国立医学部をでた普通の人という感じ

悪い人ではないのだろうけれど

先生なんだからもっと的確な道を示して欲しいと歯がゆく思った

病院の治療でできる限界と地域連携やケアマネさん頼りの施設マッチング

認知症の治療はあまり効果的な処置ができず

ただ徘徊を抑えたりするための投薬を続けられるだけで

先がない

先がないけれど認知症が患者が幸せに最後を迎えられる道はないのか

 

私は完全リモートワークだから実家に帰って介護することも検討したけれど

朝から晩まで打ち合わせ三昧でへとへとなのに

おむつ、食事など必要な時間に必要なお世話は難しいだろうと父と話し合った

仕事なんかより、母の介護の方が自分のやりたいことなのに

全てを放り出して母の介護をやるという決断はできなかった

自身の地位や収入というより

今任されているプロジェクトや明らかに人数の少ない職場

抗うつ治療をしながら仕事をしている部下のことを考えると

どうしても母の介護に踏み切れなかった

 

家族3代で住んでいた昔なら、支え合いながら最後の時までお世話できたのに

私はどうして東京の学校に進学してしまったのだろう

どうして東京で就職してしまったのだろう

地元の国立医学部でもでて

地元で医者にでもなればよかった。。。

心から後悔した

親孝行もできない人生なんて意味があるのだろうか

母の笑顔を見て毎日を過ごせたら

どんなに幸せだろうと思った

認知症で私のことは誰かもわからくなってしまっているけれど

それでもケラケラと笑ってくれていたGWの時の母を思い出したら涙がでた

 

なんのための女性の社会進出?

なんのための経済活動?

誰のため?

誰の幸せのため?

私は何のために生きている?

 

病院での治療は限界のようなので

連休明けに父からケアマネさんに相談のうえ

医療施設のある老人ホームをあたってみることにして実家を後にした