mydearson's blog

都内在住、フルタイム勤務の母と2009年生まれの息子の学習記録

2023_0716.Sun 母の着物と面会、そして祖母の子育てから学ぶこと

午前中、自宅の蔵を見せてもらった

母の着物を見るのが目的

母の着物を活かしてあげたいと思い今年から着付け教室に通っている

見たこともない、仕付け糸がついたままの着物がたくさんでてきた

母は結婚する前にお給料を着物やお茶、お花を習うことに注ぎ込んだのだな

母の着物はとてもかわいらしいきれいな色のものが多かった

想像以上に着物を持っていたこと、

私も着物に興味を持って習い始めたこと

血は争えないというかなんというか

母の着物だけでなく、祖父の着物も、祖母の着物もでてきた

はてさて父が死んだら家、土地、着物などのこれらのものはどうしたらよいか

 

午後は母の面会にいった

母は認知症で入院している

1年前は民間施設に入れたが扱えないということで数日で返されてきた母

今の病院では鼻から胃に栄養を入れているし

寝たきりなので返されることもなく滞在できているが

管をとったりしないようミトンのような分厚い手袋をさせられて自由が利かない母

15分間の面会時間、ずっと、ずっとしゃべっていた

ミトンが嫌なこと、ときどきおなかをキューっとされること

自身の様子を訴えてきていた

スタッフは男性ばかりだけれど、暴力などなく優しくしてもらえているのだろうか

母が訴えてきた、「時々おなかのあたりをキューっとされる」の意味がわからなくて

少し不安を覚えた

 

今の時代は死ぬことも容易ではない

少なくとも母は人の目が行き届く病院で死ねるのだからまだいい

一人暮らしの父は突然倒れたりしても誰も近くにいないから

その時は独りぼっちで逝ってしまうのかもしれない

日本は本当にこのスキームであってるの??

経済活動はそんなに重要なことなの?

と疑問に思うが明治維新後の中央集計国家とはこれが正しいのだろう

そして子供ができて思うことはやはり首都圏にいるほうが断然有利ということ

しかたない、しかたない、しかたない

 

帰りは大好きな港まつりの会館に立ち寄った

来週がお祭りだ

母や親せきと楽しんだ祭りの日々が懐かしかった

私は息子にこのような素敵な経験をさせてあげられていないけれど

いいのだろうか

 

宵山の曳山のギーギーなる音、

暗闇に浮かび上がる提灯がゆらゆらゆれて曳山の人形を照らし怖かったこと

車輪を回すための潤滑油の重油のにおいが大好きだったこと

今は亡き人たちとの思い出の日々がよみがえった

 

帰宅して夜ご飯を食べた後

父が昔の写真をだしてきた

そこには祖母と父の兄の写真がたくさんあった

父の兄は重度の知的障碍者

私が物心つくころはまだ同居していた。わたしは「おじちゃん」と呼んでいた。

おじゃちゃんは玄関に座って行きかう車を見ているのが好きだったが

ご近所さんの目を恐れていつしかそれも禁止されていたそうだ

私が小学校入学のころ、おじちゃんは人里離れた施設に入り家にはいなくなった

時々、祖母がおめかしして愛しの人に会いに行くようにウキウキした様子で

でかける姿を覚えている

あれは年に何回かのおじちゃんとの面会の時だったのだと思う

 

そして父が見せてくれた写真は

父が、祖母とおじちゃんを京都、奈良に旅行に連れて行った時のものだった

その中に1枚、心に刺さった写真があった

着物を着た祖母がおじちゃんと手をつなぎ

東大寺と思しき前でルンルンとスキップしているような写真だ

知的障害をもつ息子でも

これだけ愛して幸せそうに手をつないでいる祖母を見ていたら

成績が悪いとか、学校にいかないとか

どうでもいいことで息子の価値を低く思ってしまっていた自分が情けなくなった

母の愛は無償であるはずなんだ

そう、祖母の写真が私に語り掛けてきているように思えた